地球破滅の危機!ゆえに空海大師!いま、ここに!

本初不生

地球破滅の危機!ゆえに空海大師!いま、ここに!

すべてのいのちは本不生の顕現体である。その顕現体はいかなるものも個々の生命体として顕現している。世諦はこの顕現体世界を指す。真諦は本不生を指す。


最後の書

この正月は例年にない大雪が続き、寺もすっかり雪に埋もれていたのであるが、突然、ある檀家さんから、「自分のお墓に氷の現象が顕れている」というお知らせを受けた。
 1月22日早朝のこと。早速、そのお墓を確認したが、確かにはっきりと出現していた。ほかの場所にも出現していないかどうかと、法圓寺と歓喜寺の境内とお墓をざっと調べたが、氷の聖像が顕れていたのはこの墓のみであった。

 

 もちろん、法圓寺境内では以前から度々氷の聖像が出現していた「つくばい」を確認したのだが、この冬の大雪と本堂屋根からの落雪で全く埋まってしまっていたので確認できない。

 

 正直のところ、この冬は雪も多く、氷の聖像は出現するとしても大雪が溶けるまでは見られないだろうとたかをくくっていた。それに、毎年現れるとは限らないない。

 

 故に、この日のある檀家さんからお墓に氷の聖像が現われているというお知らせには、さすがに驚いてしまった。
 大雪で、お墓も大概は雪に埋もれていたのだが、この方は、それでも毎日、欠かさず墓参をしておられる方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 この写真のように、一見、「不動明王の剣」のようである。

 

しかも、このお墓には、平成30年の冬にも同様に「不動明王の剣」が出現していた。
 ここで不思議な因果を感じたのはこのお墓には「阿遮院何某」というお戒名が刻まれている。この「阿遮院」の由来は、あの法圓寺のつくばいに氷の聖像で出現した「アルナチャーラ」すなわち「アシャラノーダ」のことで、漢訳で「不動明王」という。信心深い方々であったので、氷の聖像「アルナチャーラ山」にちなんだお戒名であったが、まさか、その方のお墓に氷の聖像が出現するとは考えも及ばなかった。
 このとき(平成30年)は、ほかにも、何軒かの方のお墓にも不思議な氷の聖像が出現していた。

 

 今回はこの場所だけであった。

 

 (たまたま出現した氷による自然現象にすぎない)
そうであればよいのだが・・・・・・

 

 しかし、これまで、ホームページ上でも、何度かご紹介せざるを得なかったように、法圓寺小生の近辺では、平成20年以来、不可思議な形状をした氷の聖像が度々出現している。しかも、その出現の前後には、必ず、「地球規模の重大異変や事変が起きている」こと重なっており、単なる偶然だけでは片付けられない見えざる世界からの、何かがはたらき、何事かを暗示しているような気がしてならないのである。

 

 とはいえ、小生の浅はかな推量でもって、これらの現象を云々できるものでないだろう。 

 

 ゆえに、このお知らせを受けてはいたが、今年は、大雪の中、法務や雑事に追われる、ただ、安閑としたまま時間だけが過ぎていた。

 

 だが、本当は、この氷の聖像を見て、非常に危惧することがあった。
 妙に気になるのは、今回、お墓に出現した氷の聖像は、前に出現した「不動明王の剣」というより「平和を象徴する鳩」のようであることだった。しかも、薄氷の氷上に映るその姿は、まさしく、鳩そのものである。

 

 「鳩は平和の象徴」である。

 

 ということは、もしかすると、いま、世界は、逆に、「平和」がいちじるし
く脅かされるという危うい状態にあるのであろうか?
 逆に「戦争」を暗示しているのだろうか?
 人類の愚かさが再び戦争引き起こしかねない。しかも、核戦争を・・・・そういった危機感が見えざる世界にあるのだろうか?

 

 小生が、そういう懸念を抱くのは、かつて、昭和51年頃、ある不思議な感受性を持った恩師から、ほんのわずかの時間ではあったがでは、病身を押して必死に語り聞かせくださった不思議な話を思い出すからである。

 

 「地球人類の物質界に偏った意識と行為の乱れが、今後、地球上に大きな天変地異が引き起こすことになる。最大の問題はこれまでもそうだったように、まちがった宗教やイデオロギー、民族闘争などや権力による搾取や欺瞞性にある。地球にも意識があるのであり、その中の一部でしかない人類の意識が自己中心的覇権争いを重ね、欺瞞と搾取を繰り返し、しかも、搾取される側の悲劇はますます増大し、これがきっかけで、おろかにも核戦争のボタン押しかねない。押してしまったならばもう取り返しはきかなくなる。これまでの戦争とはわけが違う状況にある。これをなんとしても止めねばならない。だが、人間社会は愚かにもますます危険な状況を生み出しつある。
 だが、忘れてはならない。この危機的状況を回避すべく、意識的に連動している地球も、また、見えざる潜象の世界にある如来や大天使たちが、いま、必至に対策を講じていることを・・・。それは、非常に真剣である。
 人類の意識の乱れが、そもそも異常気象や大地震、飢饉や疫病、はたまた様々な戦争が起こすのである。こうした人類の誤った方向は地球という魂の修行場が破壊してしまうのだ。それは萬霊魂にとって、地球上最後の塗炭の苦しみに陥ることにほかならない。」と。

 

 その話を聞いたのは、そのときは、私だけであった。そして、この恩師はこの話をしてまもなく他界されたのだが・・・・。
 それから46年過ぎた令和4年になって、この恩師から聞かされた内容はますます真実味を増してきているように思えてならない。

 

 かの恩師が語ったように、この現象界は愚かなことに核戦争のボタンを押すものがいて大惨事を招くのであろうか?

 

 まさか、そこまで人類は愚かではないであろう。必ず落としどころを見つけるに違いないのではないか。
 と思っていると、かつて、恩師がそういった他人事のような私の心を見透かし、「いいかね、よくききなさい。これまで人類はいったい何をなしてきたというのであろうか?釈迦やイエスの本当の教えはいかされているのであろうか?彼らの教訓の真実を見失い、エゴイズムの処世に翻弄されるばかりで、とうとう、人類は、神や大義や正義の名の下に、平気で自他を殺すという愚か者だ。これを忘れてはならない。いかに、如来や仏陀が潜象界よりこの現象界に警鐘を鳴らしたとしても、この現象界の責任者はこの現象界に今生きているわれわれ自身なのだよ。今生きているわれわれがどう行動するかにかかっているのだ。この世界に住むものに全てが任されている。それゆえ、この世界では狂気に走るものがあれば、たちまち連鎖的に戦争は起こることにもなる。
 つまり、地獄を選ぶか極楽を選ぶかはひとえに今ここに生きるわれわれ自身の心と行動にかかっているのだ。ゆえに、人類ひとりびとりが地獄の沙汰となるような狂気の意識を悔い改めるべく軌道修正し、意識の変革を起こさねばならない。このままでは、かけがえのない魂の修行の場を破壊してしまいかねないのだ。それゆえ、大天使たちは必至である。私は潜象界に帰って、人々の魂の奥から心をこじ開け警鐘を鳴らし、人々の意識を直し、その変容を促さねばならなくなるのだだろう。」
 こう話して、この数日後、恩師は息を引き取り、他界された。そのそばにいた小生には、決して忘れることのできない話であった。

 

 ところで、仮に、潜象の世界から氷の聖像が現れているとするならば、この鳩のようなものは何を示しているのだろう。

 

 

 この不思議な氷の聖像に対する危惧感も相まって、1月28日初不動護摩はここ2年ほど修してきた「聖観音仕立ての不動護摩法」ではなく、「不動明王仕立ての不動護摩法」に切り替え、大日・弥陀・薬師・聖観音・弁財天・不動明王を勧請して不動護摩を修法した。

 

 が、あろうことか、1月30日早朝、今度は、全く予測もしていないところに、氷の聖像が出現!したのである。

 

 

 

 

 本堂の正面の階段脇に墓参用のお花をちょっとおけるようにおいてあったプラスチック製の黒い花桶鉢の一つに、上記写真のように、彼の「三角四面体」が複数出現していたのである。
 例によってすぐほかのところを探してみたが、やはりここだけであった。しかも、いつもの「つくばい」はまだ雪に埋もれたままであった。

 

 ということは、今回は、まるで、「大雪で皆覆われてしまっていて、氷の現象を出して気づかせようにも現象を起こしようもない。しかし、ことは重大な局面にある。安閑としていてはならないのだ!なんとしても気づかせねばならない。そのため、再び三角四面体を示すべく、まるで手当たり次第に可能な場所を見つけ、おまえの身近なところに現象を示しているのだ!」といわんばかりもののにさえ感じる。

 

 とはいえ、元々、凡庸で、愚鈍極まりない小生のところにそのような現象をお示しいただいても、「全くの無力」。どうしようもないのが現実である。

 

 否、それでも、こうして繰り返し示される氷の聖像に、さすがに、「これは、見えざる世界では、われわれ人類にかなり危惧を抱いているのではないか?三角四面体マカバがの天地・自然・宇宙の森羅万象をコントロールせずにはおれないという非常事態が差し迫っている」とでもいうのであろうかと思わざるを得ない。

 

 しかし、この現象を見て、小生には、皆目、見当がつかない。まして、本当にそのような意味でこのような現象が必要だというのであれば、何も小生のようなぼんくらな誰も注目もしていないもののところに現象を出すより、世界に多大な影響力を持つ有能な大指導者たちのところに出現してしかるべきであろうに・・・・・・。

 

 そう思って、凡庸なる小生が誇大妄想に駆られて騒ぐことのほどもはないのだろうと自分に言い聞かせていた。

 

 それでも、こうして現象が身近に頻繁に示されのは、何か訳があってのことであろうかと、自問せずにはおれず、いずれにしても自分のできることは戦争回避のためにひたすら修法するだけである。

 

 修法といえば、真言の修法中、密教の法具である五鈷金剛杵から「潜象と現象は一体である天地の創造秘儀」が込められていることを感じ取ってから久しい。 五鈷杵は、単にインドの武器から密教の法具に転化したなどという小さなものではなく、これは「潜象と現象の三角四面体が流動し回転している天地創造の原理であり、その芯に、不生の仏心が全一なる宇宙の偏在性と多次元なる局所性の核心となって構成している正反マカバの三角四面体のはたらきを如実に
示してる。これがこの五鈷杵の本当の意味であるに違いない。」

 

 修法しながら、遍照金剛空海大師は一体どのような五鈷杵を手されておられたのだろうか?。ふと、そういう思いがわき上がった。調べてみると、遍照金剛空海大師が請来された法具が東寺伝わり、国宝となっている。その写真を見て、まさしく驚愕したのである!

 

(請来型五鈷杵)

 

 

 弘法大師が宮中の真言院で修法なされて以来、今日まで続く「後七日御修法」という世界平和と安寧を祈祷する真言宗十八本山の長老猊下が修法される真言密教最高位の修法において、大導師が初めて手に取ることを許される密教法具であるので、この法具を手にできる阿闍梨は極めて希である。しかも、たとえ、何代にもわたって法統を受け継いできた真言の大阿闍梨といえども大師御請来の法具を手にできる機会は全くないのが現実である。

 

 ところが、この大師請来の国宝の法具をよくよく観ていると、まさしく、あの氷の三角四面体によって導かれたマカバの構造を余すことなく形状化しているものであることに気づいた。
 もちろん、真言密教が五鈷杵をこのように解釈しているのではない。小生私見に過ぎない。とはいえ、それこそ愚の骨頂だが、マカバと五鈷杵とトーラスは同質のことと直感しているのだ。

 

 まず、請来五鈷杵を手にして大法を修するすることは、小生には、あと何億万回生まれ変わったとしても叶わない。

 

 しかし、いま、世界は非常事態にある。というのに、自らこの祈祷を行えないのだから、あと何百万回生まれ変わったとしても、無能でしかない。

 

 数日前、こうした中、まんじりともせず、夜中を過ごし、早朝、暗いうちに、本堂を開けて、東の空を見ると、松の木葉の間に輝く細い三日月が掛かっていた、そのやや下方の東の空に明けの明星がキラキラと輝いていた。
 それは凛として澄み切った空であった。

 

 

 

 

 おそばに遍照金剛空海弘法大師がおられる!
 するとその存在のようなものはこう語りかけてきた。

 

「確かに、おまえは限りなく小さい。覚りもなく、無明の強欲の風にさらされ、愚か者のままである。まさにおまえが言うまでも無く無能極まりないのも事実だ。そして、まもなく、はかなく消え失せるものでもある。」

 

(・・・・・・・仰せの通りです・・・・・・・・・・)
 しばらく黙っていると、

 

(それでも、こうして、いつも、おそばにいてくさっておられる・・・のだなあ)というありがたい思いに包まれた。

 

 あの銀色に輝く細い月は五鈷杵、あの明星は大師であった。

 

 2月3日における節分護摩祈祷は、このような思いもあって、不肖ながら、大師請来型の五鈷杵を頂いて、遍照金剛空海弘法大師に願い出て、世界の安寧のご祈祷を潜象・現象含めてお導き賜るよう修法させていただくしかない。

 

 この現象界は無明。その煩悩の雲を取り除けるのは神のみ。
 にもかかわらず神の名のもとに戦争を起こす人間の浅ましさを悔い改めないかぎりいかなる神理も無明である。彼らは神を見ず愚かな人間を見て相争う。
 自己をあるがままにみる観法のみが、ブッダ親説本不生なる神と不生の仏心たる自心を如実に知ることができる。

 

 そうして、小生に ある不思議な書物が、いま、ここに与えられた。

 

 読み人知らずの『不可知の雲』。

 

 死にふちにたつものへの最後の魂の救済の書なのかもしれない。 次回から これを基に神の心本不生を連載したい。祈りのために・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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