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生命体は刻々に新たに創造されている

すべてのいのちは本不生の現れである

個々のいのちは先験なる本不生より、刻々に湧き出づるいのちであり、生命体は刻々と新たに創造される本不生のいのちの顕現体であるといえるであろう。

 

 かつて、ブッダが指摘された「先験なる本不生」を創造の源泉とした光のエネルギーが、ダークエネルギーやダークマターそして局所化する現象界へ、それこそブラックホールや星雲や銀河や太陽系の惑星の巡り性(自転公転)を以て、無数の広大無辺なる大宇宙体が刻々に創発し、変動し、進展する。それらは、われわれが目撃し、観測し、計測する様々な理論の解釈を遙かに超えた計り知れない刻々の創造のいとなみであろう。
 その本不生から刻々に現象化しているものは先験より今に経過し消滅する実相にあるが、先験なる本不生がいきなり物質化して消えていくという見解はまさにブッダ親説ではあろうが、大宇宙から小宇宙に至るまでの壮大な天地創造のいとなみを鑑みるに、ブッダ親説の奥に示されている本不生を直観できない限り、乱暴な見解に過ぎないだろう。
 先験なる見えざる本不生が物質界に顕現するというには、顕現化のプロセスすなわち全から多様性の個に分離する見えざる本不生のプロセスを把握できなければ、大宇宙のいとなみを完全に掌握できるものではないだろう。
 ブッダ親説は「光り輝くもの」の内観を経なければ、文字通りの唯物論で留まるしかない。
 つまり、ブッダ親説の解釈に基づくだけでは、いかに局所化されたものであろうともそもそも本不生の神泉より湧き出づるいのちの刻々の創造のいとなみの内にあることを証明できないばかりか、本初不生の空の実相である阿字本不生を見誤ってしまいかねないのである。

 

 故に、この地球上の生命体である万生万物は、そうした本不生なる光のエネルギーにより、刻々に現象化させているものであろう。
 あらゆるダークエネルギーからダークマターを通して現象界へ現象化する生命体はそういった局所化へ流れ出る本不生の流出であろう。神泉のエネルギーは、それ自体は見えざるものなれども、生命体にいのちを吹き込んでいる本源であり、生命体は本不生を気根としている。あらゆる物質といえど、実は本不生が局所化されたものであり、決して、消滅を止めた虚妄なる遺物を実体視して物質とみるのではない。

 

 即ち、全ては本初不生が先験的に今に顕現し消失しつつ、新生創出し続けている。
 ゆえに、個々のいのちは先験なる本不生なる神泉より、刻々に湧き出づるいのちであり、生命体は刻々に新たに創造されるものであろう。
 とはいえ、現実世界を見るに、なにゆえ、互いに殺戮し搾取しあっているのであろうか。

 

 局所化された個の表出は、自らの個の全体性とその個を生み出す潜在されている全体性と環境によって初めて個としてまとめられている。
 すなわち極大宇宙も極微宇宙も局所化された現象世界において一個の全である。
 では、局所化された個が全体性を見失うときというものはどういうときなのであろうか。
 人間に象徴される「自我」に固着し、自我我欲や自己保存に固執し、自己欺瞞による飽くなき野心にもとづく暴力が、いのちをいのちとも思わず破壊と殺生を生み出し、全体性を破壊し、崩壊に導く。
 ブッダ親説はこの自己欺瞞の構造を先ず人間が自覚せよということに力点がおかれ、それは今日でもなお人類にとっては重要な本質的な警鐘である。
 すなわち、本不生から逸脱した個の動きは、より包括的な全体性をも崩しかねない。大宇宙体も小宇宙体も個としての全体性によって統合されている限り、個の破壊は全体の破壊に等しいのだと。

 

 個の破壊にしろ、全体の破壊にしろ、本不生から顕現化する生命がおのおの個体として現出しているがゆえに、全体性は潜在化して現象世界に局所化される。このプロセスのなかで、断片化した個の動き、すなわち、物的世界を実体と見なし、そこに偏執し、自我を拡張していこうとする断片的対立や分裂や権力抗争や覇権抗争が幅をきかすのが物質界である。

 

 いかなる宗教やイデオロギーによる大義名分や宗教観や真理観を組み立てようとも、その根底に本不生を見失い狭隘化した断片的精神や心、すなわち虚妄なるものによる自我がある限り、狭い見解や、概念化が、外界を実体視し、過去となって死滅しているものを今に掻き集めて、消滅の恐怖心に駆られ、失うまいと虚妄なる実体に執着する。これが、破滅をもたらす。ここに人類の根本の課題があり、故に苦悩が与えられているのである。苦悩の自覚が無ければ、無自覚に滅ぶしか無いのである。
 おお!なんとおぞましいことに、この愚かしさは令和5年も終わろうとする今日において繰り返されている。
 神やイデオロギーを標榜する者達が、正義者となったり、悪魔となって、野心達成のためには手段を選ばずに自己の正当性のみを主張し大量殺戮というおぞましい攻撃手段でて、多くのかけがえのな尊いいいのちを奪ってなお平気でいるし、ロケット弾が飛んでこないうちは、全く対岸の加持のようにクリスマス商戦に浮かれている。人類全体が断片化し孤立化して底なし沼にはまっているではないか。

 

 このように、局所化により物質界に固着し偏執する性質は老廃物や過去のものとなった死物を蓄積するという愚かな条件付けを強化し、それが、対立や分裂と抗争となる。

 

 だが、局所性は本来、全体からの遊離ではなく、全体の構成に基づく個の出現と働きであり、全体の確立には個の確立が不可分であることを理解しなければならない。

 

 逆に言えば、他を殺戮することは、自らを殺すことにほかならないのだ。

 

 さあ、どうする!!


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