十八、光り輝くものの「遍照金剛の法門」
『本不生の理趣なる光りに触れて』
十八、光り輝くものの「遍照金剛の法門」
般若波羅蜜多の刻々なる創命(本不生の神泉より湧き出づるいのちの刻々の創造)に調和し、世界の究竟の真実を体得すれば、心は開かれ、光り輝く毘盧遮那と深く感応同交し、光り輝く一切如来そのものとなり、大悲の心が限りなく湧き出でて、すべてのものを本不生の真如に目覚めさせる偉大な力となる。それは慈愛の働きであり、正反重合無碍?入する自他一如の本不生の働きである。 これこそが、時空を越えた光り輝くものの刻々なる創命(本不生の創造活動)にほかならない。この般若波羅蜜多の深秘である阿字本不生の刻々なる創命は、あらゆるものを新たに創造する源泉であり、大楽とはまさにこの源泉である本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造の源をいう。これを享受できるのは天真爛漫な般若波羅蜜多心すなわち本不生心をおいて他にない。
菩薩摩訶薩とは、真如の自然法爾に気づき、「光り輝くもの」である遍照金剛を体する者に他ならない。彼は自己の欲望に潜む欺瞞性に気づき、自己変革を起こし、慈愛の本源に目覚めている。ゆえに、真に菩薩と呼ばれる。彼は大楽すなわち天真爛漫なる大慈大悲の喜びに満ち溢れて、刻々のいのちの創命をもって、あらゆる「不生の仏心」と共鳴し、調和し、新たないのちを創命し続ける。
菩薩摩訶薩は大楽(大慈悲)の世界を新たに創命するがゆえ、菩薩と呼ばれる。彼は一切如来の大菩提そのものである。
菩薩摩訶薩は一切如来の大菩提そのものであるがゆえ、真の菩薩、すなわち金剛薩?と呼ばれる。彼は一切如来と感応同交し、狭隘な自らの我欲やあらゆる魔性の欺瞞性を打破する。
菩薩摩訶薩は、狭隘な自我を超え、魔性の欺瞞性を見破る無碍自在の菩薩である。彼はあらゆる苦難と快楽に腐乱した世界にありながら、それらに影響されず、根源の本不生を見据えて、全てのものが光り輝くものとして自身の光となるように導く。
菩薩摩訶薩は、本不生を以て自らの行動を律する菩薩である。彼は生死流転の苦悩に喘ぐあらゆるものの心に添い、苦悩の世界の只中にあっても、その中から、「光り輝くもの」として「自らを照らす光となる」ようあらゆるものを導く。そして、苦悩に喘ぐものがある限り、彼らが自ら、その苦悩を超えて、真の幸福と安楽を見いだしていくよう導く。
この菩薩の大慈大悲によって、いま、ここに、大楽(大慈悲)の波動(ヒビキ)となって、天真爛漫な歓喜に満ちた大安楽の世界が新たに創命されるのである。
目覚めよ、般若理趣の真髄に。大楽(大慈悲)の世界を重ねて示そう。
「光り輝くもの」である勝れた釈迦牟尼仏・親説の恵眼を持つ求道者・菩薩は、世間の虚妄なる苦悩が尽きるまで、あらゆるものが覚醒して「自身の光り」となるよう、刻々の生命とともにある。
本不生の働きは、すべてのものをして自我による五蘊の虚妄から目覚めさせ、ともどもに、いま、ここに、絶えず新たなも創命に携わる。
貴き自己変革の力が湧き出でて、世間の欺瞞を喝破し、みなともに、目覚め、浄らかである。
貪欲、妬み、愚痴の虚妄は去り、みな、般若波羅蜜多に目覚め、新たなる、清き宝、光り輝くものとなる。
濁れに染まることなく、色とりどりの花を開かせる、かの池の蓮華の如く、「不生の仏心」は、みな、自身の光りであり、みな麗しく慈悲に満ちて自身の花を咲かせる。
欺瞞を破り、自己変革の誉れ高く、あらゆるものがそれぞれに、みな、自身の光りとなって光り輝やく。その生に苦悩なし。 すべてみな、心和らぎ、豊かなる、清き仏に調和して、いま、ここに、自ら、新たなる無上の創命となる。
本不生を体するがゆえに金剛手と呼ばれるあらゆるいきとしいけるものよ、みなこの始原の刻々なる般若理趣の創命に調和し、また、日々、早朝、新たな目覚めのときから、刻々と、この般若理趣に調和するならば、真理の妙音は共振し、新たな不生の創命となり、悦びに満ち、天真爛漫な本不生の大誓願がいまここに成就されよう。
すべてのものが、みな喜びに溢れる大楽(大慈悲)の世界、金剛界と胎蔵界とが加持感応互換重合?入し【六大は無碍互?入して常に瑜伽なる】ものとして、この現象界に阿字本不生の般若波羅蜜多を刻々に新たに創命するものとして、いま、ここに、成就せん!
狭き自我よ去れ!自己欺瞞よ去れ!
大空一如の阿字本不生。
般若波羅蜜多に目覚めよ!。
観自在菩薩の般若波羅蜜多である本不生こそあらゆるものの源流である。
本不生の神泉より湧き出づる刻々の般若波羅蜜多、いま、ここに、新たなり。
【恩寵による大神変加持咒】
ビルシャナブツ ビルシャナブツ ビルシャナブツ ヴェカラー ゼエルゼ ヴェアマル
カドーシュ カドーシュ カドーシュ ヨッドヘー ヴォッドヘー ツェヴァオット
メロー ホル ハアレツ ケヴォドー
ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー
ハラソーギャーテー ボージソワカ
十九、光り輝くものの「歓喜神泉の法門」
『本不生の理趣なる光りに触れて』
十九、光り輝くものの「歓喜神泉の法門」
般若波羅蜜多の刻々なる創命(本不生の神泉より湧き出づる神のいのちの刻々の創造)をすべて説き畢ったとき、一切如来、及び本不生を自らのものとする求道者たちは、みなここに寄り集まり、心一つにして般若理趣の刻々なる創命を体し、本不生の真理が、「不生の仏心」の苦悩を除き、円満な心に導き、世界を浄化し、諸々の新たな創命が成就されることを讃美し、この刻々なる創命を体得し、不生の仏心に目覚めた金剛薩? を称讃された。
善いかな善いかな勝れた求道者よ。
善いかな善いかな大安楽(大慈大悲)を得た者よ。
善いかな善いかな大乗の刻々なる創命の神髄を捉えたものよ。
善いかな善いかな般若の勝れた智恵を体得したものよ。
自らの深い体験によってよくこの真理の教法を演説し給い、金剛の叡智の輝かせて、「不生の仏心」を目覚めしめ給うものよ。
何れのものも、自身の光となるならば、一切の諸魔も破滅に導くことはなく、仏菩薩の最勝の阿字本不生を得ん。
光り輝くものである一切如来及び求道者は、般若理趣を響かすものとともに、いま、 ここに歓喜の新たな刻々の本不生を創命せん。
般若理趣経