般若理趣経(大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜多理趣品)の光りに触れて 6-10

六、光り輝くものの「寶性の法門」

『本不生の理趣なる光りに触れて』
  六、光り輝くものの「寶性の法門」  
 時に世尊は、三界主如来の心を示された。
 それは自我の分断性を離れ、豊かな心を育み、常に新たな本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造である般若波羅蜜多による布施を示された。
 第一 灌頂施
 灌頂施とは、すべての生きとし生けるものが、本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造によってもたらされた唯一無二のいのちであり、活動であり、それが仏のいのちとして活かしあう清浄な施行であること。
 とかく、自我は他者と比較、分離し、目先の利害に眩み、他者に依存し、我見の苦悩の中で懊悩する。狭い我見は、やがて、さらなる自他の対立と孤独の溝を深め、互いに住みにくい世の中にする。このような我見の狭さを自覚し、本不生の広さに眼を開くならば、心は明澄となり、生死流転の苦悩である虚妄を離れ、光り輝くものからもたらされた本来の自己である「不生の仏心」にかえり、天真爛漫な活動を、刻々に行うものである。このような本来の活動を灌頂施というのである。
 第二 義利施
 すべての行きとし行けるものは世間の義利すなわち、よい宝物が得られれば、心は潤い安らぎを覚える。このような財宝を互いに与えるならば、喜びの心をもって迎えられ、心はお互いに融け合うこともあろう。しかし、世間の財宝は失われる性質のものだ。
このような虚妄の財宝に執着せず、汲めども尽きせぬ本不生の財宝(本源)に気づかねば、失うことへの恐怖に苛まれよう。
 汲めども尽きせぬ本不生の財宝とは「不生の仏心」の奥にある明澄なる慈悲の本源をさす。この慈悲の源に目覚めるならば、すべての生きとし生けるものは、深い真如の導きのもとに、本不生の神泉より湧き出づる刻々のいのちとして、本来、「光り輝く」無量のものであることを覚る。この明澄な心こそ、無限の宝性を見出し、その宝性のエネルギーが、ひとりびとりの、真に自由な躍動を促進するものである。これを義利施という。
  第三 法施
 本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造こそ、この世の本然の姿であり、この世はすべて、ひとも自然もそれぞれに本不生を秘めた天真爛漫な法の大慈大悲のなかで生かされ、生きているものである。一切の対立や、差別の心を超えて、慈しみに満ちた献身的な慈愛の活動により、建設的で躍動する豊かな社会を築いていく。これを法施という。
 第四 資生施
 「不生の仏心」による糧が与えられ、身心ともに安らぎが得られるということである。「不生の仏心」の糧を施すことは、かけがえのない「いのち」を生かす最上の徳である。
 このような慈愛の徳行をもって、すべてのものを慈しみ、自他ともどもに無上の喜びをもって、躍動する社会、互いに天真爛漫な大慈大悲の「不生の仏心」を響かせる世界を築く。これを資生施という。
 時に世尊は、この妙なる刻々なる創命を体するものである虚空蔵菩薩に、重ねてこの明澄な心が真実の自己に目覚めさせ、慈愛の心を育んでいく偉大な財宝であることを確認された。
 阿字本不生から刻々と生み出される唯一無二のいのちの輝きを絆とし、その勝れたあらゆるもののいのちの響きに共鳴し、「不生の仏心」の奥に眠る宝性に目覚め、真如の世界を建設していくものである。
 あらゆる生きとし生けるものよ。本不生から汲めども尽きせぬ真如の財宝を刻々にいただいて、無上の喜びとともに、唯一無二のいのちを輝かせて豊かな世界を創造していくように。

 

【恩寵による大神変加持咒】 
ビルシャナブツ ビルシャナブツ ビルシャナブツ 
ヴェカラー ゼエルゼ ヴェアマル
カドーシュ カドーシュ カドーシュ ヨッドヘー ヴォッドヘー ツェヴァオット
メロー ホル ハアレツ ケヴォドー
ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー
ハラソーギャーテー ボージソワカ


七、光り輝くものの「正道の法門」

本不生の理趣なる光りに触れて』
  七、光り輝くものの「正道の法門」 
 時に世尊は身と口と意のすべての働きが、本不生の神泉より湧き出づる刻々の生命活動であることを示す智印如来について明らかにされた。 それは我欲にとらわれた迷えるものが、本不生に目覚め、本来の自己の探求と健全な社会の建設と輝かしい世界を創造していく般若波羅蜜多についてである。
 一切如来の堅固にして確信に満ちた生き方を常に体するならば、行動はそのまま一切如来の真実の行動となる。 
 何故ならば、一切如来の身体となって生きるものは、虚妄なる我見を離れ、怠惰な心は退き、激情の嵐の中にあっても怯むことなく、誘惑に流されず、毅然として自立し、独り立つものとして、自らを照らし、社会の闇をくまなく晴らしていくものであるからだ。
 一切如来の語られる真実を響かせるものは、その大慈大悲の響きゆえに、明るく清らかな心の通う社会が自ずと創られよう。
 何故ならば、いずれのものも虚妄を離れ、真実を語るとき、誠実な有りようとなって、ひとりびとりの「不生の仏心」を動かし、すべてのものが円満に調和されていくからだ。
 一切如来の大悲の心を常に体するならば、如来の心に包まれて、無二平等の温かい社会が創られる。
 何故なら、大悲の心は虚妄なるせまい自我をうち破り、全ての「不生の仏心」たるものとして包含し、互いを信頼と敬愛の心で満たすからだ。
 一切如来の金剛不壊の大智の心を常に体するならば、身口意の働きはそのまま本不生の働きとなって、無上の幸せは得られよう。
 何故ならば金剛の大智に目覚めた行動は、常に虚妄なるせまい自我の牙城にとらわれず、それらを超えた本不生とともに、刻々の探求と革新の生を生きていく。
 常に自己の探求と、住みよい社会を建設する求道者金剛手よ。この般若波羅蜜多における本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造をもって精進していくならば、たとえ、いま、ここが、欺瞞に満ちた社会であろうとも、また、束縛と、苦悩に喘ぐばかりであろうとも、身口意のすべての本不生の行動をもって、輝かしい真如の世界を創造し、心の通いあう、和かな社会を築いていけるのである。
 時に世尊が示された般若波羅蜜多の刻々なる創造をなす金剛拳菩薩は、重ねて正しい行いに導く阿字本不生を響かせて、大悲の心と、確信に満ちた行動をもって、あらゆるものに呼びかけられた。
 すべてのものよ。自ら道を照らすものよ、行動し、社会を浄化し、完成せよ。そして、完 の字を示された。正しい智恵で不動の心を確立し、すべてを調和に導く聖い如来の働きとなれよかし。

 

【恩寵による大神変加持咒】 
ビルシャナブツ ビルシャナブツ ビルシャナブツ 
ヴェカラー ゼエルゼ ヴェアマル
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八、光り輝くものの「戯論を断つ法門」

『本不生の理趣なる光りに触れて』
  八、光り輝くものの「戯論を断つ法門」

 

 時に世尊は本不生の慧眼をもって一切の戯論を打ち破り、世界の本然の姿を見開く如来の心を示された。 それは欺瞞性をうち破り、真実の世界を創造する般若波羅蜜多の刻々なる創命の実相である。
 とかく、ひとはこの世界に永遠なる常住不変のものを願う。しかし、心静かに観察すれば、世界も万物も刻々に変動しており、常住不変のものは無いことに気づかれよう。何故ならばすべてのものは空であり、「先験なる本不生より経過し消失する実相であり、実体として止まるものはなく、それゆえ、実体があるという見解は虚妄に過ぎない。」と、ブッダは指摘された。この真理に気づいたならば、いかに確信に満ちた自己の見解といえども、せまい視野に条件付けられた一つの観方でしかないことを知るのである。
 眼にうつる万象は、あらゆる知識の処縁ではあるが、静かに実相を観察してみれば、実体化して見えるそれは、障子に映る光の影のようなものであり、大海に生ずる波濤のようなものであり、また、よどみに浮かぶ泡沫のようなものである。顕れては消え、消えては顕れる見かけ上のものにすぎない。
 釈迦牟尼仏(ブッダ)親説によれば、(われわれは)眼にうつる外界のものをあたかも外界に実体があるように感受するが、それは五蘊によるもので、その五蘊の虚像を外界に投影し、外界に実体があると錯覚している。阿字本不生の実相からすれば、「外界に、先験なる本不生より停滞なく、今の変動が経過し、消失し、全き新しき変動として、本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造」であり、「固定された実体が変動しているのではない」ということなのである。
 刻々に生滅変動しているものを五蘊は刻々に感受するが、五蘊の記憶に留めなければ、(われわれは)外界の変動を把握できない。すなわち、先験より変動する刻々の情報を五蘊の情報に変換し、それをもって外界に投影し、世界の存在を認識している。だが、その投影されたものは映像でしかなく、認識された実体がそこにあるのではない。五官に依存する者にとって、これを錯誤と欺瞞に陥ることなく、把握することは非常に困難である。だが、そこに展開されている阿字本不生という先験より停滞なく、今に経過し、消失する、全く新しいいのちの創造活動がなされていることを理解できなければ迷いの苦悩に溺れるしかないのである。
 本不生は五蘊を超えた先験であり、五蘊で把握された結果的経験のものではない。五蘊による把握は切り取られた虚像でしかない。それを実体と視て、あたかも、外界に実体が変化変滅していると観ることは欺瞞に陥っているのである。これを「虚妄の法」とブッダは指摘された。
 故に、実体でないものを実体視することの欺瞞性に気づくこと、その気づきによって虚妄を離れることが、いかに重要であるか。このブッダの親説を以て、この般若理趣は説かれているのである。
 宇宙のすべてのいとなみは、本不生の摂理であり、先験より今に経過し、消失するがゆえに滞留なく、刻々に新たな源流の顕れとして躍動している。如来性の三身はすべてこの「空」を実相としているのである。 
 天地自然の偉大な働きは、局所的我欲を超えた大いなる遍満性の中からもたらされる実相(加持感応による互換重合無碍?入【六大は無碍にして常に瑜伽なり】)であるからだ。
 局所的個々は「不生の仏心」が常に全く新しい完全な創命(本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造)のいとなみとして、遍満なる宇宙と加持感応同交し、刻々に変動し、出現している。しかし、これは森羅万象が「外界に留まる実体」の変動ではなく、先験なる本不生の変動であることを覚らねばならない。この実相を「空」といい、「阿字本不生」というのである。
 この真如の法である加持感応による互換重合無碍?入に気づけば、断片的で偏った唯物論や唯心論などに陥ることなく、大慈大悲の真如である全く新たな源泉を汲みとることができるであろう。
 現実の世界も、眼にうつる世界も、すべてのいとなみも、その中に展開している清らかな本不生を観るならば、世界は本来、清浄であり、それを浄と穢と観る自我を去るならば、まさに、般若波羅蜜多こそが、宇宙に響く當のものであることに気づくであろう。
 時に世尊の示された般若波羅蜜多の刻々なる創命(本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造)を心に体し、清らかな赤心(童心)を持つ文殊菩薩は、重ねて此の真実の世界を見出す刻々なる創命を明かそうとして、天真爛漫な大悲の心で、虚妄なる欺瞞性を喝破する慧剣を振るい、すべての執着を去り、さらに、如来に依存しようとする自我の欺瞞さえをも見抜く勇猛心を示された。

 

【恩寵による大神変加持咒】 
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九、光り輝くものの「大転法輪の法門」

『本不生の理趣なる光りに触れて』
  九、光り輝くものの「大転法輪の法門」
 時に世尊は全ての「不生の仏心」は金胎両部が加持感応道交(重合する八輻輪、金胎両部不二なる正反重合の三角四面体(三角火輪)が大転法輪することにより顕現するという瑜伽清浄の本然の姿を開顕された。
 「不生の仏心」である全てのものが、その如来の心をかいま見るとき、直ちに、全ての「不生の仏心」を如来の世界に転入させる聖い転法輪「金胎両部不二なる正反重合の三角火輪(三角四面体マカバMerkabah)の御業を示された。
 それはこの世のすべてのものに具わる菩提心が「金胎両部不二なる正反重合の三角火輪(三角四面体マカバMerkabah)が八幅輪の光り輝く大転法輪となって忽ちに仏果を成就する般若波羅蜜多の刻々の創命となることを示された。
 せまい自己を破り堅実な生を歩むものたちは、「光り輝くものである一切如来」とともに生きていく。何故ならばそれらのものたちは光り輝く金剛の世界に生まれており、すべての働きは堅実な光り輝く如来の働きとなるからだ。
 せまい自己を克服して、魂の奥に秘められた不滅の財宝や勾玉(本不生心)を見出し、豊かな生を歩むものたちは、大菩薩の心を心として生きている。何故ならばそれらの「不生の仏心」は宝部といわれる新たなる創命の世界に刻々に出現し、本不生の力を持って大調和を展開させるからだ。
 明澄な心に帰り、世界の真実を見るならば、常に寂静の心で生きている。
 生死流転の荒波は虚妄にすぎない。流転の波にのまれず、真如不退転の心で生きていく。
 すべての行いにおいて、無私無欲の大慈大悲の誓願、「金胎両部不二なる正反重合の三角火輪(マカバMerkabah)は光り輝くものの大転法輪であり、常に偉大な大慈大悲の光りにほかならない。
 まさに大慈大悲の光りは、我執を離れ、すべてのものと加持感応道交(重合)融和する、正反重合の三角火輪(三角四面体=マカバMerkabah)光り輝くものの大転法輪である。
 時に世尊のこの勝れた刻々なる創命を心に体した纔發心轉法輪大菩薩は、生きとし生けるものが真の自己に目覚める菩提心を発こすや否や、直ちに如来の世界に引き入れようと、大悲の心を胸に秘め、金剛の世界に「金胎両部不二なる正反重合の三角火輪(マカバMerkabah)光り輝くものの大転法輪の真髄の轄を示された。
「金胎両部不二なる正反重合の三角火輪(マカバMerkabah)の大転法輪により せまい心を転じて、偉大なる心と同化し、根源の美しい心を開けよかし!
注:「金胎両部不二なる正反重合の三角火輪(マカバMerkabah)光り輝くものの大転法輪の真髄
【即身成仏秘義「六大法界體性所成之身無障無碍互?入相応常住不變同住實際」】

 

【恩寵による大神変加持咒】 
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十、光り輝くものの「正道の法門」

『本不生の理趣なる光りに触れて』
  十、光り輝くものの「正道の法門」

 

 時に世尊は、「不生の仏心」が清らかな本然の心に導き、そこに清らかな世界が開かれることを示された。
 まさに本不生の神泉より湧き出づる刻々の創造が成就する無上の道であることを示された。
 遇い難く、得難い自己の生命に報恩の誠を捧げ、菩提心を発こして、限りなく探求の道を歩むことは、一切如来の広大な供養となる。何故ならば一切如来の大慈大悲の誓願は、人々が長夜の夢を打ち破り、本不生の生命に目覚め、堅実な生の道を歩むことにほかならないからだ。
 生死流転の苦海の中に漂流するといえども、自ら指針を得て、本不生の真実に目覚め、苦悩の波濤を乗り超え、いまここに一切如来とともにあることに気づき得るのである。
 一切如来の大慈大悲は、苦悩の世界を遠離させ、無限の道を照らしだし、すべての誓願を成就させる。
 大いなる真実の経えを深く敬い、探求の糧とし、創命の道を刻々に実行するならば、一切如来の広大な供養の心とともにあるのである。 
 何故ならば、一切如来の大慈大悲は、あらゆるものの根源と共振し、本不生の真理の世界に生きるよう導かれるからである。
 真実を見聞きし、自己を確立し、最上の智恵である般若波羅蜜多を体し、あらゆるものと共振し、調和に至る。それが一切如来の持する光り輝くものとしての広大な供養の心である。
 何故ならば、一切如来の大慈大悲の誓願は、あらゆる教化の業をもって苦を除き、「不生の仏心」をして刻々なる創命の道を切り開くものであるからである。
 時に供養の道を歩む虚空庫菩薩は、大悲の心を胸に秘め、豊かな心を育んで、一切如来の心を心とし、刻々なる創命の正道を示された。それは本然の心に導く聖なる喝即ち供養の道である。 
本然の心よ湧き出よ、本不生の金剛なるをもって真理趣を成就せよ!。

 

【恩寵による大神変加持咒】 
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